小説家としての二宮淑臣氏

文学の道の険しさ

大学を中退して同人誌「劇場」に所属して文学を志していくわけですが、やはりなかなか文学の世界というのは厳しく出版社へ就職することになります。

それでも出版社という文章を書く仕事を選んだというのはやはり文章を書きたかったからではないかと思います。出版社といっても必ずしも記者として配属されるとは限らず営業や事務方もあり得ますが。

二宮氏が所属していた同人誌「劇場」は現在は存在しないようです。本人が書いた自身のプロフィールにもこのころに書かれたであろう小説などは一切登場しません。自身が納得のいくものが書けなかったのか、それとも世に認められるものが書けなかったのか。

二宮氏が書いた小説の多くはその同人誌の中には書かれているものと思われます。

新聞記者として文章を書く

その後は結婚されたことで一旦は小説家への道は後回しにして会社へと就職することになります。

しかしやはり文章を書きたいという思いは強く文章が書ける仕事ということで皮革業界誌の会社へと就職し新聞記者として文章を書いていきます。

二宮氏の鋭い洞察力とそれを端的な言葉で表現する能力というのはこの新聞記者時代に培われたものと思われます。

二宮氏の文章

二宮氏の文章はやはり一般的な有名作家さんなどの文章とはどことなく違う印象を受けます。

やはり33年間にもわたって貴社を務めてきたこともあり小説とうたわれている本でもどことなくジャーナリストが書いたノンフィクションの本という感じがします。

それだけに小説としてのストーリーはあるもののメインはところどころで出で来る解説が非常に鋭く描かれています。

社交ダンスの本にしても小説の中の随所に社交ダンス(スクエアダンス・ラウンドダンス・ラインダンス)の歴史から踊り方、まつわる団体、面白い裏話まで余すところなく描かれているのが特徴です。

これ1冊読めば社交ダンスのことが大体わかるというくらいの知識が付くほどです。

それが小説の中に分散しているため言ってみれば小説のところは休憩所で本体はその解説にあるといえるでしょう。解説ばかりがずらずらと続くと疲れますので小説の文章が入ることで一休みできるというところです。